昔はよく理解できなかった本でも、今読むと「なるほど、、、」と思うことがあります。オルテガの「大衆の反逆」もそういった一冊です。 ちゃんとした先生がいれば、高校の授業で取り上げると面白いと思いますね。大学受験のための夏期講習なんかより、人生の役に立つこと請合いです。
オルテガはスペインの哲学者で、「大衆の反逆」は1930年に出版されました。二つの世界大戦の間、世界大恐慌の真っ直中です。オルテガが憂慮した『大衆の反逆』とは一体何のことを言っているのでしょうか? それは、凡庸な平均人が権力の座に登りつめたという事実に警鐘を鳴らしていることです。マルキストやファシストの左右両翼のことを言っているのかも知れませんし、当時新興国であったアメリカのことを指しているのかも知れません。
オルテガは、大衆人が持つ共通の性質は 『大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである』と説明しています。また、『大衆人は満足しきったお坊ちゃんだ』とも言っています。お坊ちゃんとは、『家の外でも家の内と同じように振る舞うことができると信じている人間であり、致命的で、取り返しの付かない、取り消し不可能なものは何もないと信じている人間のことである』と。
大衆人は、甘やかされた子供と同じで野蛮人に近い。これは、福沢諭吉が「野蛮、つまり禽獣の世界から出来る限り遠ざけ文明に近づけることが教育だ」といったことに近いと思います。哲学者というのは、ソクラテスやプラトンの時代から表現は違っていても同じことに帰結するのだと思います。それは、いつの時代でも「人間」を扱っているからですね。
『今日の大衆人は自分がなんの思想も持ち合わせていないと知りながらあらゆる社会的な活動に首を突っ込むだけでなく、あろうことか、社会に貢献しうる有能で創造的な人間を「みんなと一緒でない」という理由で敵視している。人々はますます凡庸化・平均化していく一方、社会の構造はますます複雑になり、その複雑な社会に挑みうる有能な人材の創造性は大衆により圧殺される危険にさらされている』。
このような危機的状況をオルテガは『大衆の反逆』と呼んでいます。
オルテガが指摘した『大衆の反逆』とは、まさに現代の日本にそのまま当てはまる現象ではないでしょうか?「国民のみなさま、いかがでしょうか!」と声高に叫ぶ日本の政治家を見ていると、ノブレス・オブリージュなどとは無縁の大衆人の特徴を備えているようです。
「大衆」とは「マス」ですよね。マス・メディアが発達(倒錯?)した今の日本において、つまり、一億総大衆化した日本では、国外から一定の方向に日本全体を誘導することなんて簡単でしょうね。マス・メディアを押さえればいいわけですから。
この状況を打ち破るには、マス・メディアからの垂れ流し情報を軽信するのではなく、自らが積極的に政治や社会問題を考え情報を収集していくしかないでしょう。高校3年生の夏休み、オルテガの「大衆の反逆」に1ヶ月を費やすくらいの余裕が欲しいですね。
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大衆人とは多様性を認めない人という理解で正しいでしょうか。
返信削除8月6日のブログのコメントで、グローバル人材の事がありましたが、グローバル人材には、多様性は大変に重要な資質と考えます。大衆人を脱しないとグローバルには活動できないでしょうね。
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